“移住”という人生の大きな決断をして、鹿児島の最前線で活躍する地域おこし協力隊が、日々どんな思いで働いているのかを深堀る『地域おこし協力隊図鑑』
今回のゲストは、長島町で地域おこし協力隊員として働く江副佑輔さんです。
第1話では、地域おこし協力隊に着任したきっかけや、着任前どんな仕事をしていたのか等について、お話を伺いました。
江副さんの姿をとおして、人生をかけて必死に働いてる地域おこし協力隊員の姿を、少しでも身近に感じてもらえると嬉しいです。
<聞き手=上木寿人(KagoshimaBase編集者)、森満 誠也(KagoshimaBase取材者)>
長島町で宿業を始めます
はじめまして!
今日はよろしくお願いします!
こちらこそ、よろしくお願いします!
遠いところをお越しいただき、ありがとうございます!
というかここの場所、すごいところですね…‼
実は、ここで宿泊業をさせていただく予定でおりまして。
宿⁉
そうなんですか⁉
家主さんは長崎にいらっしゃる方なんですけど、私がここの場所をお借りしていて。
管理を任せていただけることになったんです。
家主さん、長崎の方なんですか⁉
もともと5歳まで長島町にいらっしゃったみたいなのですが、ご両親と一緒に長崎へ引っ越されて。
土地はずっとお父様が持っていらっしゃって、ここに別荘を建てられたんです。
なるほど。
この建物は、別荘として使われてた建物なんですね。
だからこんなに立派なのかぁ!
そうですね。
ただ、最近はなかなか長島町に帰ってくることが難しく、ここ1~2年は別荘の手入れが出来ていない状況だったんです。
これだけ大きな庭と建物だから、メンテナンスだけでもかなり大変そう…
家主さんとの出会い
江副さんは、ここの家主さんとどうやって出会われたんですか?
8月の初旬。
庭の草払いの依頼が町のシルバー人材センターにあったんですが、ちょうどそのときは人手が足りていなくて。
たまたま、地域おこし協力隊の僕のところに、「助っ人に来てくれないか」と話が回ってきたんです。
なるほど。
草刈りの当日。
現場に行くと、庭は草が伸び放題だったんですが、それよりも…広い庭の中に立派な屋敷があったんです。
昼ご飯の時には、屋敷の中に入れてもらえたんですけど、屋敷の中も手入れが行き届いていなくて。
うんうん。
『こんな立派な屋敷が廃れてしまうのはもったいない!』と思いました。
その日の夜、夕食をご馳走してもらった席で『お金はいらないから、お屋敷の庭も中も、お掃除をさせてくれませんか?』と、家主の方に申し出たんです。
お金はいらないから…⁉
もともと僕自身、お掃除をすることが好きなんですよ。笑
家主の方にご了承いただけたので、そこから1年ぐらいかけて、毎週少しずつ掃除をしていきました。
1年かけて…⁉
ですね。
お手入れがひと段落したタイミングで、ふとした時に僕が『宿泊業にチャレンジしてみたいんですよね』という話を家主さんにしたら、「ここのお屋敷を使っていいよ!」とおっしゃっていただきまして。
そんな流れで、今、この建物の管理人を任せてもらってるという状況です。
…。
いや、もう…いきなりすごい話でしたね。笑
すごすぎるよ。笑
いつから、ここを宿としてオープンするんですか?
早ければ、2022年の春明けぐらいからですかね。
今、書類上の手続きだったり、消防設備や備品をそろえたりしているので。
そこが出そろったら、正式にオープンします。
1棟貸しですか?
1棟貸しですね。
いや、最高ですね。
泊まりに来ましょうよ!
ここでカゴシマベースの記事を書くワーケーションしましょう!
しよう!
改めてじっくり見渡すと、家全体の造りがすごいよね。
本当に立派な建物なんです。
しかも、これからどんどん変化していく予定で。
というと?
昨年だとBBQ小屋が庭に出来たり、今年はトイレの改修工事やお風呂を五右衛門風呂にする計画があったり。
家主さんが僕の夢をとても応援してくださっていて、本当にありがたいですよね。。
家主さん…すごすぎる‼
この縁側もやばくないですか?
最高だよね。
このイスは、ボタンでリクライニングできるようになってますよ。
良い…‼
あとは庭に池があったり、ボタンを押せば川が流れるようになっていて。
ボタンで川…ハンパない…‼
間仕切りを使えば、部屋も4~5つに分けられるので、それこそワーケーションとかでも利用いただけるんじゃないかなぁと思っています。
なるほどなぁ。
でも、ちょっと冷静になって考えたら、江副さんが掃除を始めた頃って、庭も全体的にぶわーって草が生えたり、結構荒れてたわけですよね?
ですね。
家の中にも家財道具がたくさんあったので、それを搬出させていただいたりしました。
今見えてるきれいな姿が最初からではなかったってことを、僕らは想像しないといけないよなぁ。
ほんとだね。
まぁ、草刈りは本当にやりがいがありましたね。笑
これだけ広くて立派な庭だったら、やりがいあるでしょうね。笑
とはいえ、僕には草刈りの師匠がいまして。
師匠からは草刈りの技術を教えていただきました。
おかげさまで、今では庭の草刈りなら4時間もあれば、1人で出来るようになりましたよ。笑
家主の方のご友人には建築関係の方が多くて、直々にたくさんのことを伝授していただきましたね。
なるほどなぁ。
この場所には、家主さんと江副さんの想いがたくさん詰まってるんですね。
やっぱり、江副さんが1年かけてここまでの状態にもってきたことで、家主さんが信頼してくれたんじゃないかなぁ。
信頼関係が構築出来てないと、今のこの状況になってないもん、絶対。
そうだね。
江副さんの人間性が、縁を引き寄せたんだよね。
生まれも育ちもずっと福岡でした
ちょっと宿の話がすごすぎて、取り乱しちゃったんですけど…笑
ここからは江副さんの経歴について、じっくりお話を伺いたくて。
長島町の地域おこし協力隊に着任して何年目でしたっけ?
2022年1月から3年目になりました。
協力隊の任期が3年間なので、卒業が2022年12月31日のため、残り10か月を切っていますね。
【※インタビュー時は2022年2月末】
ちなみに、今おいくつですか?
今年、36歳になります。
出身はどちらです?
生まれも育ちも、ずっと福岡です。
地元は福岡県春日市になります。
働いていたときは、博多や天神で一人暮らしをしていました。
その頃はデザイナーとして働いていたんですか?
そうですね。
肩書としては、グラフィックデザイナーとかコピーライターとして仕事をしていました。
地域おこし協力隊になったきっかけ
協力隊になったきっかけって何だったんですか?
かなりさかのぼった話になるのですが…。
地域おこし協力隊になる前の福岡時代は、広告代理店で働いていました。
長崎にあるハウステンボスの広告制作を担当していたり。
ハウステンボスの広告制作⁉
なかなかの激務で、夜中の3~4時に帰るみたいな生活を続けていたため、私自身、体調を崩してしまって。
夜中の3~4時…
それは体調崩しますね。。
なので、契約を更新しないっていう形をとって、実家へ戻ったんですよ。
32歳ぐらいの時でしたね。
新卒でそこの会社に?
いやっ、僕は新卒での就職が上手くいかなくて。
最初はデザイン事務所で働かせてもらってました。
ただ、なかなか収入が足りなかったので、別途、酒屋さんでオンラインショップやカタログ作成を担当させてもらいながらという状況でしたね。
なるほど。
そうやって働いてるうちに、少しずつ仕事を指名でもらえるようになってきて。
すごい!
この頃から、『フリーランスでも仕事を取っていきたいなぁ』と思い始めるんです。
その後もいくつか転々としながら、それでも『収入がなかなか…』って悩んでた時期に、縁があってその広告代理店の方に拾っていただいて。
なるほど。
広告代理店を辞めて実家に戻った後は、『今後どうやって働いていこうかなぁ』って、家族にも相談をしながら過ごしていましたね。
うんうん。
今後のことを相談した父からは『やりたいことがあるならやりなさい』と言葉をもらいました。その1週間後、入退院を繰り返していた父の容体が急変し、父はそのまま他界しました。
父は10年の闘病生活でした。
えっ…
父の四十九日までの間、私はこれからどうやって生きていけばいいのか、分からなくなっていました。
母と『どうしていいか分からない』と、父の墓前で哀しむ日々でした。
そうですよね。。
我が家は男三兄弟で、私が真ん中なんですけど、兄も弟も結婚して家庭を持つ状況の中で、私は自由に動ける状態だった。
それこそ、母は父にずっと付きっ切りで看病していたため、そこからの1年間は私が母と一緒に生活を続けることにしたんです。
うんうん。
母と暮らす中で、ふと、父からの言葉が蘇ってきました。
『やりたいことがあるならやりなさい』
その言葉を大事にしたいという気持ちが、自分の中で強く芽生えたんです。
今思えば、遺言のような言葉だったと思います。
『やりたいことがあるならやりなさい』って、簡単な言葉のようですけど、本質的でとても奥深い言葉ですよね。
ですね。
そこからは、フリーランスとしてグラフィックデザイナーの仕事をしながら、母や実家を見守りつつ、それでも、『なにかこれまでにやりたかったことをしたい』と思いました。
そして、大好きな『映画』に関わる仕事(映画館のスタッフ)をしたいと思い、それを実行しました。
それが、私の福岡での最終経歴になります。
素敵なお話を赤裸々に語っていただき、ありがとうございます。
その後、長島町とのご縁が始まるわけですね?
はい。
グラフィックデザイナーと映画館スタッフ、二足のワラジという働き方を1年間した後『これから、どんな仕事をしていこうかな』と思っていた矢先でした。
長島町の地域おこし協力隊OBである益田(ますだ)さんとご縁があって。
ほうほう。
『長島町役場が発行する広報紙のデザイナーを探している』という話をいただいて。
それがきっかけで長島町の協力隊に着任することになったんです。
ちなみに、屋敷の草払いで助っ人の話を持ってきてくれたのも益田さんです!笑
草払いの助っ人も⁉
益田さんすごい!!
前向きな『想い』が膨らんでいた
それが協力隊になる1~2ヶ月前のことです。
声をかけていただいた後すぐ、長島町に1泊2日で泊まりに来たんですよ。
その時、長島町の印象はどうでした?
話をいただいた当初は、正直、移住に対するイメージが全然湧かなくて。
移住するつもりは、1~2%も無かったと思います。
ずっと福岡にいらっしゃったんですもんね…笑
そうなんです。
福岡から外に出たことが無かったので。笑
ただ、1泊2日を終えて福岡に戻った時、自分の中で『想い』が膨らんでることに気づいたんですよ。
『想い』が膨らむ?
この長島町でどんなことが出来るんだろう。
どんな暮らしができるんだろう。
そして、長島町で見た夕陽。
もしも、自分が長島町で暮らしたら・・・。
前向きな『想い』が自分の中で膨らんでいることに気づいて。
なるほど…‼
それで、母に『ちょっとやってみたいことがあるんだけど』って相談して。
2020年1月に長島町の地域おこし協力隊として着任することになります。
すごい話ですね。。
長島町に移り住んでみて
実際に長島町に移り住んでみて、いかがでしたか?
最初は住む家がなくて、長島町内のシェアハウスに住んでいたんですよ。
ただ、冷蔵庫も暖房設備も整っていないところで。。笑
笑笑
移住から1週間。
暮らしていくには不便な環境が続いていて。
さらにはシックハウスの影響で鼻水やクシャミが治らないような状態でした。
『なんとかしてほしい…』と悩んでいたとき、当時空き家のコーディネーターを担当していた益田さん(協力隊OB)が、長島町内の集落で空き家があるよと紹介してくれたんです。
またもや益田さん…‼
最初に内見した時点で、『あぁ、ここだな。』って感じて。
すぐそこに引っ越しました。
ほぉ!
ちなみに…引っ越し先の空き家は、なんと‼
長島町を舞台にした、長島町初の映画『夕陽のあと』でロケ地に使われた場所なんですよ‼
なので、この映画を観ると、私が住んでいる家の間取りや様子が見れてしまうんです。笑
すご‼
そんなミラクルあるんですか…‼笑
ロケ地だった場所に住んでるって、そんな経験なかなか出来ないですよね…‼
僕自身、もともと映画が好きっていうこともあって、嬉しかったなぁ。
‼
映画が好きで映画館スタッフとして働いてたっておっしゃってましたもんね‼
そうなんです。
実は、今年(2022年)も長島町を舞台にした映画の撮影が控えてまして。
そのロケ地に、ここの別荘を利用してもらうことになっているんです。
すごい!!
ここの建物はね、そら使うでしょって感じですよね。
すごいもん、だって。笑
第1話まとめー協力隊に着任するまでー
掃除が好きなのでお金はいらないから、お屋敷の中をお手入れさせてもらえませんか?
2022年春。
ずっとやりたかった宿泊業を始めようとする江副さんにお話を伺ったら、この言葉☝が大きなきっかけとなっていました。
庭の草刈りから始まり、建物内のお手入れ、家主さんとのコミュニケーション等、小さな一歩を丁寧に積み重ねた先に今があるんだよなぁと。
綺麗な建物や広くて立派な庭だけに目がいきがちですけど、その裏側にある物語に思いを馳せることで、モノの見方に深みが増すなぁと感じましたね。
にしても、ボタンで川の水が流れるって…すごすぎる…ボタン…押したい…笑
ということで第1話では、地域おこし協力隊に着任したきっかけや、着任前の働き方について、お話を伺いました。
第2話では、地域おこし協力隊に着任した後の暮らしや働き方について、お話を伺います。
ではまた次回、お会いしましょう!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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