最前線で働く公務員が、日々何を思い、働いているのかを深堀る『公務員図鑑』
今回のゲストは、鹿児島市役所の都市計画課で働く、後藤光佑さんです。
中編では、公務員としてどんな仕事にかかわってきたのか、役所内で事業の立ち上げに関わった話等についてお話を伺います。
後藤さんの姿をとおして、普段日の目を見ることが少ないけど、必死に働いてる公務員の姿を少しでも身近に感じてもらえると嬉しいです。
<聞き手=森満 誠也(KagoshimaBase編集者)>
公務員としての顔
大学に入る時点で公務員になることを決めていた
少し時代をさかのぼって、後藤さんって新卒で公務員になったんでしたっけ?
そもそもなぜ公務員に?
実は大学に入る時から、市役所か県庁に行くって決めてたんだよね。
そうなんですか!?
高校三年生の時、進路についてめちゃくちゃ迷って。
もともとモノを作ることが好きだったんだけど、自分が現場で作業をするタイプではないこともわかってた。
最初は土木じゃなくて、建築の設計をする人になりたいなって思ってたんだ。
おぉ!
なぜそこから土木の道に?
建築ってセンス必要じゃない?
自分には美術の才能ないな。無理だ。。って。笑
なるほど。
僕自身、建築学科に入った一発目の設計課題で、周りの学生たちの美的センスにやられて、進路を迷走したクチです。笑
ちょうどその頃、テレビ番組で「噂の東京マガジン」っていう番組を見ててさ。
その番組内で公共事業が叩かれまくってたんだよ。
「無駄な公共事業しやがって!けしからん!」みたいな感じで。
あったかも。笑
それを見ながら、《つくる仕事》って建物だけじゃなくて、橋とか道路の分野もあるんだなっていうこと知って。
『まちをつくる』っていうこと自体に興味を持ち始めた。
なるほど。
そういう話を担任の先生と話すうちに、先生から「土木の道に行ってもいいんじゃない?」って言ってもらえてさ。
『まちづくり』に関する仕事をするなら、自治体の職員として関わっていきたいなぁと思って、公務員を目指すことにしたんだ。
あとは「都市計画」っていう響きが、なんとなく恰好よさそうって思ったことがスタートだったりする。笑
「無駄な公共事業しやがって!」がきっかけで、「都市計画をやってみたい!」に変換されるの、めちゃくちゃ面白いです。笑
高校三年生の頃に思い描いてた、都市計画とかまちづくりに直結する《都市計画課》で、今まさに働いているわけですもんね。
都市計画課のイメージってもっとマクロな、鹿児島市全体を見るイメージだったけどね。
まさか、地域とここまで深く関わる仕事ができるとは思っていなかったなぁ。
公務員遍歴
そこから大学を卒業して、鹿児島市役所に入るわけですよね。
都市計画課に配属される前は、どんな仕事をしていたんですか?
一番最初に配属されたのは《河川港湾課》
市町村をまたがない、流域の小さな川の管理をしたり。
あとは、桜島の爆発が起きた時に逃げるための港で、漁業の拠点にもなっている避難港の管理とか工事をしてたね。
めちゃくちゃ土木技師らしい仕事ですね!
次が《谷山都市整備課》
谷山駅周辺の土地区画整理の仕事をしていたんだけど、地権者さんのお宅に説明にまわったり、谷山駅の駅前広場のレイアウトを考えたり、交差点改良について警察と協議したり。
大変だったけどやりがいあったなぁ。
個人的に実家が谷山なので、谷山駅にはお世話になってます。笑
次が《公園緑化課》で、街路樹や公園樹の植栽や管理に関する仕事をしていて、そのあと《宮城県気仙沼市》に1年間復興の手伝いに行ってた。
そして、今の《都市計画課》に配属されたんだよね。
≪リノベーションスクール@鹿児島≫の立ち上げ期
振り返ってみると、土木技師って一括りにできないほど、幅広い仕事を経験されてますよね。
僕が後藤さんと出会ったのは、ちょうど公園緑化課から気仙沼に異動するぐらいの時期だったかと思います。
たしか、リノベーションスクール鹿児島の立ち上げの時期だったはず。
だったかも!
リノベーションスクールとは
リノベーションスクールは、リノベーションを通じた都市再生手法を学び、不動産の再生を通じて、まちなかでの新しいビジネスを生み出し、エリアを再生する実践の場。
単体の建物の再生を超えて、どうすればその建物の建っているエリアの価値を高め、地域を生まれ変わらせることが出来るのか。
まちの将来像を思い描きながら、まちの活かし方、遊び方を考えるスクールです。
参考:リノベーションスクール高岡
リノベーションスクールを鹿児島市でやろうって動き出したきっかけは、なぜだったんですか?
今から6年前ぐらいに、≪鹿児島市立病院が移転した跡地をどう活用するか≫について考える勉強会があったんだ。
その勉強会の中で、鹿児島市役所建設局の若手~中堅が集まって、意見を出しなさいっていうお題が出されていて。
今の加治屋まちの杜公園になってる場所ですね。
みんなであーでもない、こーでもないと議論をしてたんだよ。
そのメンバーの中に、リノベーションスクールをわざわざ北九州市まで行って受講した松元里紗さん(鹿児島市職員)がいた。
松元さん!
僕もリノベーションスクールを北九州まで受けに行ったんですけど、北九州で会った人達から松元さんの存在を教えてもらって。
鹿児島帰ってきて、急いで松元さんに会いに行ったら、後藤さんと引き合わせてくれたんですよね。
なつかしい。。
そうなんだね。笑
勉強会の議論の中で、松元さんが「民間だけどパブリックマインドを持って頑張ってる人が鹿児島にもいます!」っていう話をしていて。
実際、民間企業で働きながら、鹿児島をもっと盛り上げたいって頑張って活動してる方とも意見交換させてもらって。
その中でリノベーションスクールの話が出たんだ。
最初、リノベーションスクールの話を聞いてどう感じました?
すごくいい取り組みだなと思ったよ。
補助金や行政に頼らず、空き家を活用して市民自らが動くためのスクールになっていて。
それで、松元さんを中心に職員6人が集まって、リノベーションスクールの事業化について検討しようってことになったんだよね。
今ではリノベーションスクールって全国の自治体で開催されてますけど、当時は鹿児島県内だと鹿屋市がやってたぐらいで、まだ認知度が高くなかったですよね。
やりたいことを事業化するということ
そうなんだよね。
当時は民間の方々が自分たちでお金を出し合いながら、体験型リノベーションスクールっていうイベントを鹿児島市で開催してたりして。
『鹿児島市を盛り上げたい!』という熱意を、めちゃくちゃ感じたんだ。
民間企業の方は、食べていくためのお金を稼ぎながら、その上で鹿児島市のことまで考えてるわけですもんね。
それって、よく考えたら凄いことですよね。
そうだね。
鹿児島市としてもなんとかバックアップできないかって考えてさ。
リノベーションスクールを鹿児島市の事業としてやるためには、実施計画っていう、翌年どんな事業をやるかっていう計画にのせて、予算を確保する必要がある。
この辺が理解されにくいところですけど、役所の場合、やりたいことがあってもすぐに予算が確保できるわけじゃなくて。
実施計画っていう、翌年度にやりたい事業の計画を提出し、財政課から査定を受け、翌年度の予算が議会から承認された上で、初めて事業がやれる。
最短でも2ヶ年計画で動かないといけないんですよね。
そうそう。
予算を確保しないと何も始まらないから、とりあえずメンバーが所属する各課で、リノベーションスクールを開催するっていう実施計画をあげてみようと。
そしたら、産業支援課っていう商店街振興等を担当する課で予算がついて。
この予算が付くまでの一連の流れって、めちゃくちゃ市民協働ですよね。
現場のリアルな声をひろって、役所と民間が協力しながら事業化する。
6年前とは思えない、最先端な公民連携だよなぁ。
僕は当時公園緑化課だったから、空き家を活用するリノベーションスクールを実施計画に上げることはできなかったんだけどね。笑
しかも、予算が付いて「さぁやるぞ!」ってなった時に、グループのメンバーが皆異動になってさ。。
産業支援課の後任に、吉住さんがきた。
なぜこのタイミングで。。っていう異動は、役所あるあるですね。笑
そのあと、1年目は講演を中心に、2-3年目はリノベーションスクールの開催という形で、3年間にわたって鹿児島市でリノベーションスクールが開催されるわけだけど、今思うと後ろめたさがあるのも事実なんだよ。
というと?
当時の僕らは、理想ばかり掲げていたから、現実を知らない。
実際には産業支援課が運営したり調整したり、空き家を探したり、参加者を募集したり、めちゃくちゃ大変だったと思う。
だから、立ち上げ段階の話は、あんまりするもんじゃないかなって、今まで思ってたんだよね。
(その辺の配慮が後藤さんの優しさですよね。。)
まとめー中編ー
中編では、役所内で事業を立ち上げた時の話や、土木技師としてどんな仕事をしてきたのかを中心に、お話を伺いました。
特にリノベーションスクール立ち上げの話が興味深かった。
配属先や職種にかかわらず、役所内でチームを組んで、民間企業の人たちと意見交換をしながら事業化していく。
この部分は、今仕事でやりたいことができてない人にとって、ヒントが隠されているんじゃないかと思います。
ということで、中編はこんな感じです!
後編では、プライベートの姿を中心にお届けしますので、お楽しみに!
では、また次回!
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