最前線で働く公務員が、日々どんな思いで働いているのかを深堀る『公務員図鑑』
今回のゲストは、大崎町役場で働く宮下功大さんです。
前編では、宮下さんの生い立ちや今まで歩んできた職歴などについて、お話を伺いました。
宮下さんの姿をとおして、普段日の目を見ることが少ないけど必死に働いてる公務員の姿を、少しでも身近に感じてもらえると嬉しいです。
<聞き手=上木寿人(KagoshimaBase編集者)、森満 誠也(KagoshimaBase取材者)>
宮下さんのプロフィール
1986年9月生まれ。
教員だった親の転勤に伴い大崎町、奄美大島、阿久根市、鹿屋市など県内各地で暮らす。
志布志高校高卒業後、宮崎大学教育学部で学び、父親の故郷、大崎町役場へ入庁。
税務課、企画調整課、鹿児島県大阪事務所などに勤務。
「パッション男子」というキャラクターになることもある、不思議な公務員。
出会いは大阪
今日は、よろしくお願いします!
こちらこそよろしくお願いします!
宮下さんは今、何課にいるんですか?
大崎町役場企画調整課の企画政策係にいて、企業版ふるさ納税、SDGS、地方創生などを担当しています。
企画調整だから、流行りもの系がくるイメージですね。
その他もろもろがくる感じですね。笑
企画調整課には、どのくらい在籍してるんですか?
通算8年いますね。
8年⁉⁉
役場に入ってから、税務課、企画調整課、鹿児島県の大阪事務所、企画調整課と異動していて。
企画調整課には係が3ヶ所あるんですけど、全部まわりました。笑
なるほど…笑
同じ課とはいえ、各係で担当する内容は全然違ってて。
今はSDGsを担当してます。
そもそも宮下さんは大崎町で育ったんですか?
ですね。
そもそも両親が教員で転勤族だったので、大崎の他に、阿久根、鹿屋、奄美とかにも住んでましたよ。
宮下さんって、結婚されてますよね?
奥さまも大崎町の方でしたっけ?
いいえ、大阪出身なんですよ。
おお!
県の大阪事務所に出向した時に出会ったんですか?
そうなんです。笑
出向の辞令交付式の時も、町長から「大阪で嫁を見つけてきなさい!」と言われて。
逆にそれ以外は何も言われませんでした。笑
結果的に大阪に行かなければ、奥さまとは出会ってなかったわけですもんね。
良かった!笑
ちなみに、奥様とはどうやって知り合ったんですか?
ほんとですよ。笑
大阪事務所では観光物産課で『観光PR』と『焼酎』を担当していて、関西圏の鹿児島に関係するお店と連携して業務を進めていたんです。
とある時、新しく奄美料理屋をオープンするというので、そこに何度か顔を出してたんですけど、そこの女将さんに紹介していただきました。
なるほど。
付き合い始めたのが、2年の任期のうち、1年経った後だったんですけど、付き合って3ヶ月ぐらいの時に、嫁が『来年度の異動希望届を出さないといけない』ってなって。
うんうん。
来年度の異動希望届を出さないといけないんだけど…どうする?
それ、いつまでに決めないといけないの?
…明日。。
明日⁉⁉
妻も大阪で働いてたんですけど、『じゃあまずは一緒に鹿児島行ってみる?』という流れになり。
そのあたりから、将来のことを意識し始めましたね。
結局、付き合って半年でプロポーズしました。
話がとんとん進んで行ったわけですね。
まぁ、そこで決断した奥さまが素晴らしい。
ほんとに。
色々考える暇もなく、どんどん進んでいきましたよね。笑
考えたら逆にどんどん不安になったりするから、逆に良かったのかも。
じいちゃんの登場
少し話は変わりますけど、宮下さんって高校まで鹿児島だったんですっけ?
そうそう。
志布志高校を出て、宮崎大学に行きました。
卒業して、そのまま大崎町役場に入ったんですか?
ですね。
もともと、大崎町役場が第一希望だった?
いやっ…本当は『就職したくないなぁ』って思ってて。
まだ将来について定まってなかったので、もう少し考えたかった。
ただ、就活のタイミングで大崎町役場の採用試験が5年ぶりに実施されることになって、うちのじいちゃん&ばあちゃんに『受けなさい!』って言われて。。
めっちゃわかる。
僕も似たような感じです。笑
その流れで受験して、合格できたのは良かったんですけど・・・・
でもまだ迷ってて。
そしたら、じいちゃんから「せっかく役場に受かったんだから、もう断れないぞ」って言われて。。
じいちゃん…笑
そもそも、僕自身が大学では教育学部だったので、教員になりたいと思ってたんです。
ただ、教育実習の時に不登校の子ともがいて。
不登校になった理由も、本人じゃなくて親に問題があったりして、そういう問題って『教員という立場では中々アプローチが難しいな』って思って。
なるほど。
教員になるにしても『もう少し社会を広く勉強してからがいいんじゃないか?』と思ったんですよ。
それが公務員だったかと言われると、良かったのかどうか分からないんですけど。
そんな想いを抱えながら、役場に入って働き始めるわけですよね?
実際に役場で働き始めてみて、いかがでした?
役場がどういう仕事をしているのか全く知らないまま入ったんですよね。
面接では意気揚々と『大崎町が好きです!自然と人が好きです!』ってとか言ったんですけど、いざ入ってみて、税務課で働き始めたら、取る電話、取る電話クレームの嵐で。
最初は人間不信になりかけました。
なるほど…。
こんなことを言う人もいるんだなと。
最初の頃はずっと『辞めてぇ…』って思ってましたね。
ここって、一般の方に伝わりづらいところかもしれないですけど、ある意味、それが役所の仕事の最前線ですもんね。
面白さもありつつ、色々言われるところでもありますよね。
でも、慣れてくるとかなり勉強になるので、最初に税務課でいろんなことが経験できて良かったなって思っています。
「お前が役場やめるんだったら、死ぬ!」って言われて
税務課の後はどこに?
企画調整課の政策推進係というところにいました。
工場立地法や過疎計画、総合計画などなど。
正直、全く意味が分からなくて、ずっとメール処理をしてたっていう記憶しかないです。笑
そのあと、大阪事務所へ出向するわけですね。
ちなみに大阪への赴任は、希望をして行ったんですか?
いや、『行きなさい』と言われて。笑
笑笑
大阪事務所って、鹿児島県への出向になるんですか?
そうそう。
鹿児島県へ出向して、大阪事務所勤務みたいな感じです。
ただ、大阪勤務を伝えられた時『役場を辞めよう』と思っていて。
ほぉ!!
それはなぜでしょう?
JICAの青年海外協力隊に行きたかったんです。
次年度の試験に向けて本気でチャレンジするために役場を辞めようと思ってたタイミングで『大阪事務所行かんかー?』っていう話をいただいて。
ただ、『大阪行きも断って公務員を辞めよう』と思ってたので、親にも辞めることを伝えたら「あんたの人生だから辞めてもいいんじゃない?」って言ってもらえてたんですけど…。
ですけど?
そしたら、じいちゃんが出てきて、「お前が役場やめるんだったら、死ぬ!」って言われて。。
ええええっ!
結構、本気な感じで言われて。
うちの両親も教員辞めてるんですけど、そん時も色々あったみたいで…「お前もか!」と。
「ブルータスお前もか!」的なやつですね。笑
じいちゃんから、「役場をやめるってことは、住民への裏切りだ」と言われて。
当時の教育長からも『役場辞めてもがんばれよ』って言ってもらってたんですけど、それを聞いたじいちゃんが教育長室にも行って、「よくないと思うんですよ」って直談判してて。
ほう…(じーちゃんすごいなぁ…)
『これはやばいぞ』って思い、「大阪行きを謹んでお受けいたします。」って。
今となっては、『行ってよかった』と思ってますけど。笑
人生の分岐点で、毎回じいちゃんが出てくるわけですね。笑
今思えばですね。
それ以来、何かするときにはじいちゃんに先に言っておくようになりました。笑
でも、その時にじいちゃんが立ちはだかっていなければ、奥さまとも出会ってないわけですもんね。
まあ、そうですね。
今となっては、大阪事務所にも行かしてもらいましたし、働きながら大学院にも行かせてもらいましたし、役場には感謝しかないですね。
看取ってもらうのを諦めました
大阪事務所の後はどんな仕事を?
大阪から帰ってきてから、企画調整課でふるさと納税の担当になって、そこに3年いました。
その後、企画調整課の中に政策調整係という新しい係が出来て、そこに配属になり、慶應義塾大学の大学院に行くことになるんです。
慶應の大学院に⁉
ですです。笑
半年間神奈川に住んで、現地で取らないといけない単位を取って。
残り1年半は帰ってきて、大崎町役場で働きながら、研究活動をしてました。
その間ずーっと宿題に追われて、ほとんど仕事はしてないです。笑
それは、町の施策で大学院に通わせてもらってたんですか?
はい。
大崎町が慶應義塾大学の研究所と連携協定を結んでいるんですが、その協定の中に『人材育成』という項目があって。
色んな人を呼んで色んな人が出入りするっていうのも大事だし、そもそも職員がレベルアップしないといけないよねっていう話になり、その手段として大学院に入学することに。
すごい話ですね。。
さすが大崎町…‼
ありがたいですよ。
ただ、当時、僕は単身で神奈川に行ったんですけど、子供が1歳になってなかったので、妻は大変だっただろうなと思います。
カゴシマベースで皆さんの育休の記事を見て、『妻に逃げられてもおかしくないよな…』ってい思いました。。
いやいや!
僕も今まで何もしてこなかったっていう危機感で、今必死に取り戻しに行ってるだけなので、ほぼ一緒の立ち位置なんですよ。。
これ、もう一生かけてやっていくしかないんですよね。
夫婦ってポイント制だと思っていて。
産んでくれた時点でどうひっくり返っても妻には勝てないから、これからいかに点数を稼いでいくかだよなって。
そうそう。
絶対に僕の方が早く死ぬから、最期、看取ってもらわないといけないので。
僕、若干、それあきらめてますね。
無理かな~って。
たまにいるのよ。
まぁまぁ早い段階であきらめてる人が。
嫁さん、看護師なんですけど。笑
でた!
自由にのびのび生きてる公務員にインタビューに行くと、奥さんが看護師の人が多いんですよ。笑
そういう人って、だいたいそこで保険掛けて、やりたいことを自由にやれてるイメージ。
そういう時って結局、『奥さんがすばらしい』っていう結論になるんですよね。
あるあるなんですね。笑
宮下さんから感じる余裕は、そこからきてるのかと。
ふるさと納税担当してるときも、帰宅が22~23時とかだったんですよ。
妻からは『大崎に来たばっかりで友達もいないのに、私は家で何すればいいの⁉」って言われてて。
でしょうよ!笑
確かに、見ず知らずの町に連れてこられた上に、当人が夜遅くまで帰ってこない。
今考えると申し訳なかったなぁと思ってます。
まあ、子どもができてからは、働き方もかなり変わりましたけど。
お子さんはおいくつですか?
3歳と1歳です。
大学院の修士論文をがっつりやらないといけない時に2人目が生まれて。
だから、最初の頃は全く子育てに参加出来てないんです。
なるほど…。
申し訳ない気持ちもありつつ、やらないとなっていう気持ちもありつつ…。
そんな感じなので、熟年離婚するんじゃなかなって。。
子供が成人したら、妻はすぐ大阪に帰ってしまうんじゃないかと…
いやいや!笑
そうならないように、今から頑張りましょうよ!
環境先進地としての大崎町
ちなみに修士論文は何をテーマに書いたんですか?
大崎町の『リサイクルの話』を深堀りしたいなと思って。
せっかく役場で働いてるので、住民と企業と行政の協働をどう仕掛けていったのかに着目して、どうやって大崎リサイクルシステムが確立していったのか、行政目線で追っていきました。
それって、行政側にいる人にしか書けないものですもんね。
ただ、僕自身、環境担当になったことが無かったので、どういう仕組みになってるとか、誰がキーマンとか知らなくて。
改めて、歴史を紐解きながら勉強し始めた感じでしたね。
大崎町が環境に力を入れ始めたのって、結構前の話なんですか?
分別が最初に始まったのが平成10年なんですけど、平成7年ごろからダイオキシンの問題で家での焼却がダメになり、ゴミが埋め立て処分場に集まるようになって。
当時、大崎町は100%埋め立て処分をしてたんですが、リサイクル率が0.8%程度。
どんどんゴミが増えて行って『これはどうにかしないといけないぞ』って。
なるほど。
①焼却場をつくる
②新しい埋め立て処分場をつくる
③分別を増やして、埋め立て処分場入ってくるゴミを減らす
この3つの中から、大崎町は③リサイクルで埋め立てごみを減らすことを選択して、埋立処分場の延命化に取り組んだんです。
ゴミって、生活の核になる部分ですよね。
なんですよ。
全員通る道ですから。
生活に密着した話だからこそ、合意形成がめちゃくちゃ難しそうだな
と感じるのですが…
だからこそ、住民説明会をめちゃくちゃ丁寧にやったみたいです。
普通だったら、「いついつどこで説明会をやります」って行政側で決めるじゃないですか?
ほとんどそうですよね。
ただ、ゴミ処理の話は、多くの住民に聴いてもらわないといけないというのが前提にあるわけですよ。
例えば、公民館長さんに『いつだったらみなさん集まりますか?』って聞いた上で、日時と場所を指定してもらい、そこに行政が駆けつける体制をとって、説明会を開催してたみたいです。
すご…それぐらい住民のみなさんの協力無しには成り立たないことですもんね。
そうなんです。
行政が説明するだけじゃなく、衛生自治会というゴミを出すすべての人が入っている組織があるんですけど、そこのリーダーの方々にも理解していただいて、その方々、いわゆる声の大きい方々からも説明してもらったりして。
「あの人が言うんならやらんとね」ってやつですね。
まさに!
もちろん、「あんたたちがそこまでやってるんだったら」って思ってもらえるよう、行政側も汗をかきながら。
なるほどなぁ。
行政あるあるだと思うんですが、制度ばかりつくって、『住民のみなさんが守ってくれない』ってよく聴くと思うんですけど。
やっぱり、制度があるから皆さんやるんではなくて、個人個人、合理的な選択をするみたいなところがあって、守らないっていう人もいっぱいいるわけですよ。
もちろん制度も大事なんですけど、その上で内面的な部分をどう巻き込んでいったのかっていうことを、修士論文で追っていきました。
人間は感情で動く生き物ですからね。
話聞けば聞くほど、当時の衛生自治会の役員の方や役場の担当の方たちが神ががっていたんだなって思えました。
僕にとってもすごく貴重な機会でしたね。
まとめー前編ー
人生の岐路に立った時に必ず登場する「じいちゃん」
時には命を懸けてまで孫を導く「じいちゃん」
大崎町役場の話、慶応大学での修士論文の話など、色々なことを伺いしましたが、途中から「じいちゃん」のとりことなり、他の話が頭に入っていきませんでした。
宮下さん。ごめんなさい。
前編では「じいちゃん」の話が中心になりましたが、後編では様々な所との連携など仕事の話を中心にお伺いします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
ではまた次回、お会いしましょう!
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