「対話と挑戦の文化をつくる」がキャッチフレーズの、鹿児島にあるまちづくり団体テンラボ。
そんなテンラボが鹿児島県くらし共生協働課と組んで、2012年から行っている講座があります。
その名も「本気の地域づくりプロデューサー養成講座」

毎年、鹿児島県内の各地で活躍する人材を輩出するこの講座の受講生たちに、定期的にインタビューをして、受講生が年々変化していく様子を応援しようという本企画。
今回のゲストは、鹿児島県庁の職員として働く池田康朗さんです。
前編では、公務員としてどういう人生を歩んできたかについてお話を伺います。
<聞き手=森満 誠也(KagoshimaBase編集者)>
池田康朗さんのプロフィール
1989年生まれ。
鹿児島県姶良市出身。
高校生までを鹿児島で過ごし、広島大学法学部へ。
鹿児島銀行、霧島市役所での経験を経て、現在は鹿児島県庁で活躍中。
鹿児島県庁で働き始めた翌年、佐賀県庁へ2年間の出向が決まり、佐賀での出会いやつながりが池田さんにとって大きな人生のターニングポイントとなる。
佐賀県庁では『さが創生推進課』に配属され、「ローカリストアカデミー」や「佐賀さいこう!企画甲子園」などを担当。
もともと持っていた人たらしとしての属性を一気に開花させ、多くの佐賀県民から愛される。
たくさんの経験値を持って鹿児島県庁へ戻ってくるも、業務に忙殺され、現在思うように活動できていない中、闇を抜け出そうと「本気の地域づくりプロデューサー養成講座」への参加を決める。

公務員としての顔
ハードワークな毎日

よろしくお願いします!
ZOOMでしかお話したことなかったから、ほとんど初めましてですよね!笑

初めまして!笑
県庁まで来てもらって、ありがとうございます。


鹿児島県庁の食堂でご飯食べたかったので、こちらこそありがとうございます。笑
毎日忙しいですか?

そうですね…
かなり忙しいです。笑
高齢者関係の部署にいて、コロナ関係の担当もしてるので、朝から夜まで仕事に追われてますね。。


それは大変ですね。。
今、お住まいはどちらですか?

今は生まれ育った姶良市に住んでいて、鹿児島市にある本庁舎まで車で通勤しています。
片道1時間ぐらいですかね。

それも大変ですね。。

慣れましたけどね。笑
ただ、仕事に追われる毎日は結構辛いですね。。
何が辛いって、イベントに行ったり、鹿児島の面白い人達に会う時間が確保できていないことが、何よりも辛いです。
何としても大好きな鹿児島に帰ってきたかった

その辺の病んでる話は、後編でがっつりお伺いさせてください。。笑
そもそも、なぜ鹿児島県庁に就職したのかという所から伺ってもいいですか?

大学の時に広島に行ってて、就職どうしようかなって考えた時に、やっぱり大好きな地元の鹿児島に戻りたいと思って。
なんとなく公務員試験対策のために、公務員講座を受け始めたんです。

公務員講座!
僕も受けてました!笑

模試の点数はずっと良かったんですけど、いざ試験本番を迎えたら、鹿児島県庁も鹿児島市役所も落ちちゃって。。
かなり落ち込みました。
ただ、就活当時が2012年で震災直後だったこともあって、民間企業が秋採用をやっていたんです。
とにかく何としてでも鹿児島に帰りたかったので、鹿児島の企業を受けたら、鹿児島銀行から内定をいただいて。

おおおお!
元銀行員なんですか!?

僕、元銀行員なんです。笑
銀行マンとしてやり甲斐を感じながら働いてたんですけど、ある時、このまま金融マンとして一生を過ごすのか、それとも、鹿児島を盛り上げるために公務員として色々な経験をしながら生きるのか、迷う時期があって。

大学生の時に公務員試験を受けてて、公務員として働くことを目指してたわけですもんね。

結局自分の中で、「人生一回きりだし、色々な経験がしたい!」という思いが強くなって。
支店長に「辞めさせてください!」って言って、そこから再び公務員試験の勉強を始めたんです。

そこが一回目のターニングポイントですね。

辞めるって伝えてからじゃないと仕事に対して失礼だっていう思いがあったので、それまで全く公務員試験の勉強をしてなくて。
そもそも公務員試験の勉強を始めた頃は、鹿児島県庁も鹿児島市役所も採用試験が終わっていたんですよ。。

おお。。

6月とか7月の採用試験は終わってるけど、公務員試験って9月にも採用試験をする自治体があるので、9月採用の試験を受けたんです。
そこで受けた霧島市役所から合格を頂いて。
鹿児島銀行を辞めて、霧島市役所の職員になりました。

あれ!?
今、鹿児島県庁の職員ですよね?
その前は霧島市役所に居たんですか?

そうなんです。笑
ただですね、4月から霧島市役所で働き始めてすぐのタイミングで、鹿児島県庁と鹿児島市役所の試験があったので、ダメもとで受けてみたんです。
「一回落ちてるから、まさか受からないだろう」と。
そしたら、鹿児島県庁から合格通知がきて。

おお!笑

鹿児島県庁から内定をいただけたことは嬉しかったんですけど、ちょうどその時、霧島市役所での仕事が楽しくなり始めていて。

どの辺に楽しさを感じました?

県庁と違って、市役所って市民との距離感が近いから、職員の対応ひとつで住民のリアクションがリアルに分かるんですよね。
なんて面白い仕事なんだろうって。

ちなみに、当時はどんな仕事を?

滞納の差し押さえとかですね。
税金関係の部署にいました。

元銀行員っぽいですね。笑

笑笑
仕事も充実してましたし、霧島市役所では同い年の同期メンバーと仲が良くて。
仕事もプライベートも楽しかったんです。
ちなみに、この同期らで霧島を盛り上げるためにAwesome city Projectという団体を立ち上げて、霧島ガーデンプレイスというマルシェを始動したりしてます。
今はコロナ禍で毎月一回の小規模イベントをやってますよ!

霧島ガーデンプレイスは、僕も友人達と一度出店させてもらったことあります!
めちゃくちゃ雰囲気の良いマルシェでした!


そうなんですね!
もともと音楽をやっていたので、霧島ガーデンプレイスでは、スタッフとしてPAをやってました!
そんなこんなで、霧島での暮らしが充実してきてて。
そもそも、人と直接話をすることが好きな自分の性格上、県庁より市民との距離が近い市役所の仕事の方が向いてるんじゃないかって。


悩ましいですね。。
もともと希望していた鹿児島県庁と仕事が楽しくなってきた霧島市役所。
結局どうされたんですか?

自分のことなのにもかかわらず、なかなか決断することができなくて。
市役所の先輩、大学時代の教授、校長先生をしてる親戚、色々な人に相談しました。
僕としてはめちゃくちゃ迷っていたんですけど、相談した人は皆、「鹿児島県庁に行ってみたらいいじゃん!」っていう同じ答えを僕にくれたんです。

霧島市役所の先輩が「鹿児島県庁に行ってみたら?」って言ってくれているのは、池田さんのことを思って言ってくれたんでしょうね。

そうですね。
もともと大学時代から希望していた鹿児島県庁で内定をいただけたということは、「ご縁」があったってことかなと。
腹をくくって、霧島市役所を辞める決断をしたんです。


それが二回目のターニングポイントですね。
霧島市役所から鹿児島県庁に転職して、今何年目ですか?

6年目ですね。
最初の2年間は税金関係の部署で、そこから佐賀県庁に2年間出向しました。
佐賀から鹿児島に戻ってきて、現在は高齢者生き生き推進課という部署で働いています。

最初の異動が佐賀県庁なのも、なかなかすごいですね。。笑

最初は「なんで佐賀!?」と思いましたけど。笑
佐賀での二年間は僕にとって、かけがえのない二年になりました。
ほんとに行って良かった。
今でも年に複数回は佐賀に通ってイベントに行ったり、佐賀にいる大好きな人達に会いに行くぐらい、大切な場所です。

まとめー前編ー
人と話をすることが好き
そう自称するだけあって、初対面にもかかわらず、僕がインタビューしやすい空気感を作ってくれた池田さん。
すごく気づかいのできる、穏やかで素直な人だなぁという印象を受けました。
ということで、前編では、公務員としてどう歩んできたのかという話を中心にお話を伺いました。
中編では、佐賀での濃密な2年間について熱く語っていただいたので、その話を中心にお届けします。

では、また次回お会いしましょう!
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