鹿児島の圧倒的なシンボルである桜島。
その桜島が噴火した時に降ってくる”火山灰”を使って、絵を描く『火山灰アーティスト』が、鹿児島には居ます。
火山灰アーティストKYOCOこと、植村恭子さん。
#4では、火山灰アーティストのアート論について、じっくりお話を伺いました。
KYOCOさんの話をとおして、少しでも読んでいただいた方に活力が生まれれば嬉しいです。
<聞き手=森満 誠也(KagoshimaBase編集者)>
作品を創ってから観てもらうまで
びびっとくる感覚
普段、火山灰アートってどんな感じの流れで描いてるんですか?
うーん、①飾る場所が先に決まってる場合と、②道端を歩いてて『これだ!』と思う場合があって。笑
なるほど。笑
例えば、マークメイザンに飾ってもらってる絵【①飾る場所が先に決まってる場合】で言うと。
まずは、飾らせてもらうスペースに何を飾ろうか考えるんです。
うんうん。
『マーク』とか『名山』っていうキーワードで考えてみたんだけど、あんまり良いアイデアが思いつかなくて。
どうしようかなぁって思ってたんですけど、ふとした瞬間に、『アップル!』と思って。
ほ、ほう…
大体、マークメイザンみたいなコワーキングスペースで作業する人って、AppleのMacBook使ってそうじゃない?笑
たしかに!笑
しかも、『リンゴ=創造のタネ』だし。
マークメイザンにはクリエイティブな人がたくさん来るわけだから、ぴったりじゃん!って思って!
で、違う切り口のリンゴを描いたんですよ。
マークメイザンみたいに、飾る場所が先に決まってる場合が多いですか?
いやー、そうでもないかなぁ。
道端を歩いてて、『あ!あの部分を切り取ると面白そう!』って描くことも結構ありますし。
へぇー!
キテンに飾る作品の中にもありますよ。
上之園町を歩いてた時に、ゴミステーションに捨ててあるゴミを突っ突いてるカラスがいて。
そこに自転車がしゃーって通った時、カラスがくるって振り向く、その瞬間を見て、『おぉ!いいじゃん!!』って思ったんです。
その場面を作品にしました。
おもしろい!
そんな感じで作品が出来ていくんですね!!
なので、飾る場所とか誰に渡すとかが先に決まってたら、その場所や人にふさわしい作品にしようと思って考えますし、そうじゃなければ、自分が『おもしろい!』と思う感覚に従って描くようにしてますね。
鹿児島に飾る作品だからって、全てが桜島の絵だったらつまらないじゃない?
たしかに。
火山灰アーティストのKYOCOさんから、それを言われるとすごく説得力がありますね。笑
ナチュラルな営業
先日、マリンパレスかごしまに家族で泊まりに行ったんですけど、そこにKYOCOさんの作品が飾ってあって。
最近、色々な場所でKYOCOさんの作品を目にすることが増えたように感じているんですけど、作品ってどんな流れをたどって飾るところまで至るんですか?
マリンパレスかごしまの場合は、私から「飾ってみませんか?」って持ち掛けたの。
KYOCOさん側から持ち掛けたんですか⁉
そうそう。笑
ふらっと行ってみて、ここ空いてる!って思ったら、「私、こういう作品を描いてて、この壁に飾ったりとかできますよー。」って、持ち掛けてみるんです。
気軽な感じで。
すご!笑
マークメイザンも、なんか成り行きで、飾ってもらえることになったし。笑
素敵な建物とか空間に空いてる場所があって、『私の描いたもの飾ったら良さそうかも!』と思ったら、声かけてみるようにしてます。
断られたりすることもあるんですか?
ありますあります。
そこでダメって言われたら、「あぁ、私はまだそのレベルじゃなかったか。」って思って、次の場所を探すみたいな感じ。笑
アート論
想定外のことを見る勉強
私自身、美的センスが全くない部類の人種でして。。
美術館に行くと、分かりやすい絵と、何を描いてるのか全く分からない絵、両方あるじゃないですか?
うんうん。
分かりやすい絵は、きれいだなぁ!って僕でも分かるんですけど、直感的に理解できない絵の見方が、いまだによく分からなくて、、
アーティストであるKYOCOさんの場合、あぁいうアートって、どんな風に捉えてるんなんですか?
絵とかアートって、現実的なものと非現実的なものが、同じ枠内に収まってたりするんですよ。
『それとそれが隣同士で並んでるのって、普通ありえないでしょ!』みたいな。
はいはい。
そういう、想定外のことを見る勉強がアートなんだと思う。
ほぉ。。
実際にこの世には無いし、現実にはあり得ない組み合わせが絵の中で表現されていたとして。
「これはありえないよなぁ」って感じるのは、なぜなんだろう?
なぜ?っていう部分を深掘っていくことで、自分自身の視野が広がって、発想が膨らむようになる。
なるほど…‼
現実的なものと非現実的なもの。
その両方を理解できるようになることが、アートなんじゃないかなぁって、私は思ってます。
分からないことも正解
ちょっと違うかもしれないですけど、同じ作家の作品でも、描く時期によって作品のタッチが違ったりすることありますよね?
それを観て、なぜこの作品はこういうタッチで描いたんだろうって考えたり、作家の気持ちを想像したりすることが、案外楽しかったりしますもんね。
そういうことの積み重ねで、発想って膨らんでいくのかも!
そうそう!そんな感じ!
絵を見て「良く分かんないな」って感じたら、良く分かんなくて正解なんだと思います。
『分からないと感じること』=『今のあなた』なわけだから。
なるほど!
同じ絵でも、今日と明日で見方が変わるかもしれない。
今日分からなかったものが、来月は分かるかもしれないし、一生分からないかもしれない。
でも、ただそれだけのものというか。
うんうん。
もしちょっとでもアートに興味があるなら、『これってどういう風になってるんだろう?』って深掘って考えてみる行為自体が面白さだと思います。
その面白さを得るために、美術館とかアートギャラリーに行くんだと思う。
上手に描くことだけが正解じゃない
すごく面白い、アートに対する捉え方ですね…‼
ただ一方で、そういう風にアートを捉えられる人って、めちゃくちゃ少ないんじゃないかな?とも思うんですよ。
なるほど。
それはなぜなんだろう?
というか、普段暮らす中で、絵を見て思考する機会自体がそもそも少なくないですかね?
僕も含めてですけど。
うんうん。
それもあるし、そういう風に捉えられない人が多数なのは、絵の評価基準にも原因があるんじゃないかなって思います。
絵の評価基準?
普通、絵を描いた時って、描いた対象物がいかにそっくりに写せてるかということが評価されるじゃない?
たしかに!
上手に描けてるね!みたいな。
もちろん、正確さっていう評価基準も正解のひとつだと思う。
ただ、書いてる人が「すごいそっくりに描けてるね!」って言われて、みんながみんな嬉しいかって言われると、そうでもないんじゃないかと思ってて。
はぁああ!なるほど!!
きっちり模倣することだけが正義なのだとしたら、定規とかコンパス使って描いた方が正確に描けるわけじゃない?
たしかに!
描きたいことを描く
って思った時に、絵を描き始めた人が描きたかったことが、ちゃんとその場に表現されていることが大切というか。
自分が丸だと思って描いたものが、他人から見たら楕円だと捉えられるかもしれない。
でも、私にとっては丸なわけで、それで自分が満足なんだったら、もう十分じゃない?
おもしろい…‼
幼稚園とか小学生の絵のコンクールで『この絵はすごい!』って評価されるものって、絵全体の雰囲気とか勢いを見て、その子が描きたかったことが、枠いっぱいに表現されてるから評価されるんだと思う。
大人から見たら、そこに腕は生えてないし、その首の曲がり方はおかしいっていうような絵だったとしても。
うんうん。
写真みたいに、モノをどれだけ正確に写せてるかだけが、評価される基準じゃない気がするんですよね。
もっと評価基準がたくさんあってもいいじゃない!笑
親として、すごく身につまされる話でした。。
子どもの絵を見て、より実物に近づくところだけを切り取って『上手くなったねぇ!』って声かけちゃいがちですもん。
でも、たとえ親視点で良く分からない絵だったとしても、その子が描きたかったものが表現されていれば、それって思いっきり褒める対象になるわけですよね。
そうそう!
ただ、一方で基本も押さえといた方が良くて。
小学一年生の時に、ひらがなの練習とかするじゃないですか?
四角のマスがあって、薄く線が引いてあって、そこを鉛筆でなぞるやつ。
はいはい。
あの練習も大切だと思うんです。
色んな人が見て、それは「あ」だよね、それは「〇」だよねっていう、ある種のテッパンみたいなものは、人間の共通認識だから押さえておいた方が良い。
なるほど。
共通認識も押さえた上で、いかにその枠をはみ出すか。
これはこういう風に描くのが良いとされているけど、その枠をはみ出して自分の描きたいように描くという意識を持つ。
どっちも両立させることが重要なんじゃないかなって、そう思います。
なるほどなぁ。。
というか、きっちり基本の練習ばかりだと、楽しくないじゃない?笑
正しさと自由の間で遊ぶという感覚を大事にしてほしいなぁ。
それがアートなんじゃないかって、そう思います。
最高です。
おもしろすぎました!
偉そうにアート論を語ってしまったけど、私、美術の大学を出たわけじゃないのよね。。笑
笑笑
アートから縁遠い僕からすると、面白い考え方というか捉え方ばかりで、すごく新鮮なお話でした!
ということで、本日はありがとうございました!
火山灰アート展、頑張ってください!!
こちらこそ、ありがとうございました!
まとめー#4ー
正しさと自由の間で遊ぶ
アート論というか人生論のお話でした。
基本も押さえながら、枠をあえてはみ出してみる。
『枠内外の行き来』を楽しむ感覚は、社会人になって忙しい毎日が続くと、忘れがちになっているよなぁ。
また、大人が抱く正しさだけを、自分の子どもにも押し付けてしまってるんじゃないか。
みたいな、自分自身を振り返ることが出来た、素敵な時間でした。
ということで、#4では、火山灰アーティストのアート論について、伺いました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
また次回、お会いしましょう!
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