2017-18年と、2年間にわたって鹿児島市で開催されたリノベーションスクール@鹿児島(以下「リノスク」)。
様々な思いを抱えて参加した受講生たちは、当時どんな心境で参加していたのかを振り返り、今どこでどんな活動をしているのかを探る本企画。
初回のゲストは、おりなす設計室の田渕一将さんです。
前編では、リノスク受講前の会社員時代~リノスクを受講した時点までの話を中心に伺います。
<聞き手=森満 誠也(KagoshimaBase編集者)>
田渕一将さんのプロフィール
鹿児島県肝属郡錦江町出身。
高校生までを鹿児島で過ごし、大学進学を機に関西へ。
大学卒業後、設計事務所、ハウスメーカーを経て、2019年に鹿児島への移住とともに独立。
現在は「おりなす設計室」として、エコロジカルな建築設計を手掛ける。
特に断熱に関する知見が深く、鹿児島で質の良い住環境を広めるというミッションを掲げ活動している。
鹿児島市下伊敷のカフェ「otonari」、薩摩川内市のリユースリサイクル循環拠点「ECOBASE」の企画・設計等に携わる。
関西で会社員をしていた頃
鹿児島に帰ってくることは考えていなかった
よろしくお願いします!
まず、2019年に関西での仕事を辞め、夫婦で鹿児島へ移住したというお話を伺いました。
昔から鹿児島で暮らすことは考えていたんですか?
よろしくお願いします!
鹿児島への移住は、正直そんなに考えてなかったかな。
今振り返ると、3つのきっかけが偶然にも重なったおかげで、真剣に鹿児島で暮らすことを考え始めたんだよね。
①父親の病気
②妻の活動と後押し
③鹿児島で自分にできること
なるほど。
順番に聞かせてもらってもいいですか?
父親の病気と妻の後押し
関西でハウスメーカーの社員として働いてる時に、鹿児島に住む父親が心臓の手術をすることになって。
大した手術じゃないって聞いてたんだけど、実は結構大掛かりな手術だったみたいでさ。
自分は三人兄妹の長男で、その時鹿児島に帰れなかった後ろめたさもあったり、今後もし何かあった時にどうするかとか、色々考えた。
僕も長男なので、気持ちは少し分かります。
その時から妻【田渕尚子】はキャンドルアーティストとして活動をしてて。
「どうしようかなぁ。。」って悩んでたタイミングで、妻から「私も自然豊かな鹿児島みたいな場所で活動してみたいし、お父さんのこと、考えてあげた方がいいんじゃない?」って言ってもらえてさ。
尚子さん素敵すぎる…‼
それがあったから、本腰を入れて鹿児島への移住を考えようっていう気持ちになれたんだよね。
自分は鹿児島に帰って何ができるだろうか
それからは、鹿児島で自分に出来ることは何か、めちゃくちゃ考えたよ。
もともと独立志向だったから、独立することには抵抗がなくて。
とにかく、鹿児島の住環境について課題意識があったんだよね。
具体的に言うと、どんな課題でしょう?
例えば、鹿児島の家って、冬の寒さについてはあんまり考えられていなかったり。
たしかに!
鹿児島って南国なイメージあるかもしれないですけど、冬は普通に寒いですもんね。。
そうそう!
住宅一つとっても、これから先は、大量生産大量消費みたいな世界じゃなくて、ちゃんと良いものを残していかないといけない。
なるほど。
良いものを後世に残していくためにも、断熱とか住環境を専門にする人が、鹿児島にも必要だよなぁと。
自分がそのポジションを担えるのだとすれば、鹿児島に帰る意味があるかもなぁと思えたんだよね。
鹿児島の状況を知るための決断
話は少し変わりますが、リノベーションスクールの存在はもともと知ってたんですか?
ちょうど鹿児島に帰ろうかなぁって考え始めたタイミングで、鹿児島市でリノスクがあることを知って。
もともとっていうよりは、SNSでふと知人の投稿が目に入って、そこで初めてリノスクの存在を知った感じかな。
なぜ参加してみようと?
鹿児島って今どんな状況なのか、そこが知りたかった。
リノスクに参加すれば、鹿児島で実際に動いてる人たちの空気感とか熱量が分かるんじゃないかと。
なるほど。
三人ともリノベーション業界のトップランナー達ですね。
とにかくこの三人と会って、話がしてみたかった。
結果的に、川畠さんと大城さんにはリノスクを受講した時に会えて、色々と話が出来たんだよね。
その後、別の機会に味園さんにも会うことができて、今では一緒に仕事をするような関係性が築けた。
そこも含めて鹿児島の状況を掴むということが、参加の目的としては大きかったわけですね。
たしかに、移住するかしないか決める上で、移住先の状況や環境って大きく関わってくるから、そこを移住前に知ることってめちゃくちゃ大事ですよね。
なんとか三日間の有休を確保して参加したリノスク
ちなみに、リノスクに参加した時って、田渕さん自身はどんな状況だったんですか?
関西でハウスメーカーに勤務してたよ。
ハウスメーカーって平日休みなんだよね。
リノスクは金-日曜の2泊3日だからさ…3日間がっつり休みとって参加したよ。
おお。。
その時点で、辞めて鹿児島に帰るつもりだったんですか?
いやっ、その時点では辞める予定じゃ無かったから、会社には「ちょっと急用で実家に帰らないといけなくて…」みたいな話をした気がする。笑
なるほど。笑
とにかく、金曜の朝に飛行機で鹿児島に着いて、そのままリノスクの開校式。
金、土、日と3日間のリノスクを終え、日曜の夜、リノスクのクロージングパーティを抜け出して、なんとか飛行機で関西へ帰った。
きついですね。。
え?次の日は?
仕事仕事!
そもそもリノスクの三日間、頭フル回転&ほぼ徹夜みたいな状態なのに。。笑
でも、リノスクに参加してみて、同世代で鹿児島をどうにかしたいって考えてる人たちと出会えた。
参加したからこそ、なおさら鹿児島に帰ってきたいと思えたよ。
その言葉を聞けて、当時のスタッフ一同は泣いてると思います。笑
対象物件以外の成果
ちなみに、対象物件は事業化までいきましたか?
名山町にある物件が対象だったんだけど、事業化はできなかった。
ただ、リノスクで同じチームだった方からの依頼で「otonari」の設計をすることになったり、もともと名山の物件に入ろうとしてた飲食店さんと偶然一緒に仕事をすることになったり。
良い意味での『鹿児島の狭さ』を感じたよ。
特に大都市圏と比べると、繋がりは感じやすいかもしれないですね。
そうだね。
人と人がどんどんつながる感じが、鹿児島は面白いなぁ。
まとめー前編ー
リノベーションスクールを受講した翌月には会社へ辞職を申し入れ、半年後には鹿児島へ移住していたという田渕さん。
リノスクに参加してみて、同世代で鹿児島をどうにかしたいって考えてる人たちと出会えたから、鹿児島に帰ってきたいと思えた
この言葉は、リノスクの事務局側として参加していた僕にとって、めちゃくちゃ嬉しく、感慨深いものでした。
前編では、リノスク受講前の会社員時代~リノスクを受講した時点までの話をお届けしました。
後編では、鹿児島に移り住んだ後~現在までの話についてお届けしますので、お楽しみに!
では、また次回!
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