さつま町を拠点にカメラマンとして活動しながら、鹿児島の伝統的工芸品「鶴田手漉和紙」に関わり、この夏からHITTOBEのコミュニケーターとしても働きはじめた中島愛実(なかしま あいみ)さん。
18歳で鹿児島を離れ、広島で3年働きました。次の行き先を決めないまま地元に戻り、いまは和紙とカメラと、人に向き合う仕事をしています。
私たちが「この人の話をちゃんと聴いてみたい」と思い、過去・いま・これからを1時間かけて伺いました。
この記事は10分で読めます^^
前編は、「なかじー」と呼ばれていた学生時代から、18歳で鹿児島を飛び出して広島で就職したこと、そして何も決めずに帰ってきた地元での再出発まで。
<聞き手=森満誠也(日日nova)、前村愛(HITTOBE)>
※月に一度開催している公開収録イベント『HITTALK』の記録です。
中島愛実さんのプロフィール
平成9年生まれ。鹿児島県さつま町出身。
中学校までを地元のさつま町で過ごし、高校は隣町の学校でインテリアを学ぶ。卒業後、広島の鉄鋼業の会社へ就職し、3年間勤務。
22歳でUターンし、さつま町の廃校活用施設「きららの楽校(旧白男川小学校)」へ。約5年間、運営スタッフ(施設運営管理)からSNS発信まで幅広く担当する。この時期に鶴田手漉和紙と出会い、独学でカメラも始める。
現在は、天文館にある鶴田手漉和紙の店舗に立ちながら、HITTOBEのコミュニケーターやカメラマンとしても活動を行う。

あだ名は「なかじー」でした
テーブルの真ん中にマイクを1本置き、その周りを3人で囲む。
並んでいるのは、森満と前村が「中島さんに聴きたい!」と持ち寄ったキーワードのカード。

HITTALK vol.1、始まります!
こんばんは、日日novaの森満です。

HITTOBEの前村と申します!
よろしくお願いいたします。

この番組は月に1度、僕らが話を聴きたいと思った人に来てもらって、その人の「過去」「今」「これから」を1時間かけてじっくり深掘っていく番組です。

台本はございません。
目の前にあるカードは、私たち2人で中島さんに何を聞きたいか、かなり吟味して持ってきたトークテーマみたいなものです。


じゃあ、中島さんの自己紹介を簡単にお願いします。

あ、はい。えっと、中島愛実と言います。平成9年生まれで、29歳になりました。
中学校までを地元のさつま町で過ごし、高校は薩摩川内の高校に。
その後就職で広島に一回出て、今はまたUターンでさつま町に住んでいます。
ご縁があり、今月からここで働くことになりました。

中島さんはHITTOBEに来る前は、さつま町の「きららの楽校」で働いていて。
その時から「この人は絶対に面白いぞ」とずっと思っていたので、じっくりお話を聴ける機会をいただけて今日は楽しみにしてました!

早速、過去のゾーンから聴いていきましょう。
中島さんは学生の頃ってどんな人でしたか?

学生の頃は、あだ名が「なかじー」だったんですけど。
クラスが違う子もなんか「なかじー」で浸透してて。
なんか……ゆるキャラみたいな?
自分で言うのもなんですけど。笑

笑笑
昔から人の話聞くのが上手だった?

いやー、どうなんですかね..。なんかその、相槌がうまかったというか。
そんな感じでした。

通ってた小・中学校って、1クラス何人ぐらいの学校でした?

どっちも小さい学校でした。小学校は1クラスしかなくて10人ぐらいだったかなぁ。
スポーツが好きだったので、男の子の中に混ざってサッカーしたりとか。そんな感じで過ごしてましたね。ゆるキャラとして。笑

10人のクラスにも、派閥はある

1クラス10人だと、派閥とかなかったんですか?

派閥みたいなのは、ありましたね。
小学1年生になりたての時は、うまく輪に入れなくて、2つ上に姉がいたのでよくついてまわってました。
高校の時は仲良いグループがあったんですけど、自分だけこう、いろんなグループの子達と仲良くしていたので。
たまにそれが、よく思われなかったりとかもありましたけど。
名前で決めた「インテリア科」

高校ではどんな勉強を?

絵を描くのが好きだったので、インテリアの勉強をしてました。
高校を決める時もこの学校に行きたいっていうよりは、正直、インテリア科っていう名前で決めたところが大きかったですね。笑

実際どうでした? 想像してた通りのことが学べた?

楽しかったです。陶芸とかものづくりとかも経験できて。
選択科目の授業でLINEスタンプを作ってみたり。ネタ40個描き出して、パソコンで制作して。
「行く」とだけ言って、広島へ

高校の勉強でラインスタンプ作ってるの、すごいね..!!
卒業後は就職?進学?

私、4人姉妹の末っ子なんですけど、お姉ちゃんたちがみんな大学に行っちゃってたので、自分は「働かないとな」っていう気持ちがあって。
高校の周りの友人たちも就職する人が多かったんです。
県外に出たかったので、広島に行きました。

広島!?なぜ広島へ?

最初は福岡が良かったんですけど落ちちゃって、2次募集で「大手の会社が来てるよ」って先生に言われて。
鹿児島を出たいっていっても、九州にはとどまりたかったんですけどね。笑
ただ、広島だったら新幹線もあるし、すぐ帰って来れるかもなって。

どうやって親を口説いたんですか?
4姉妹の末っ子だと、県外に出るなって言われそうだけど..

親はちょっと反対でしたけど、、私、自分で決めたら結構曲げれなくって。
多分、深い説得はしてなくて、ただ「行くからね」って言って、行きました。

すごいね..!!(説得とかじゃないんだね!)
給料で選びました

広島ではどんな仕事をしてました?

鉄鋼業です。全然(インテリアと)関係のないものでしたけど。
現場が良かったんですけど、自分は工程管理をする設計業務担当になって。
お客様の注文サイズをパズルのように組み合わせて、巨大な鉄板から最も無駄がない切り出し計画を立てる仕事でした。

なるほど!すごい!!
鉄鋼業自体は、元々興味があるジャンルではあったんですか?

いやー、、興味はそんなになかったかもですね。
最初はやっぱり給料という面で選んじゃってました。笑
安定してるし、『県外で三交替=給料が良い』みたいなイメージが周りにもあって。夜勤すれば+αもあるし。
行ってみたら普通の日勤だったんですけど。

普通の日勤!笑

でも同期がいっぱいいたので毎日楽しかったです。
人間関係にはすごい恵まれていました。

ここに一生はいられない

18歳で広島の会社に入って、どれぐらいの期間働いたんですか?

結局3年で辞めて帰ってきました。
広島で働いてる時に、「なんか地元に帰りたい」っていう気持ちが強くなっちゃって。
楽しかったんですけど、「ここにずっといるのは違うかも、一生ここに居ることは考えられないな」と思って。

うんうん。

ちょうど成人式で帰ってきた後すぐに、母校の中学校が廃校になったんですよ。

その時に「もし学校がなくなったら、こういうのやりたい」みたいなことを考えていて。
ちょうど朝ドラの『半分、青い。』で廃校リノベーションのシーンを見て、「面白そうだな」と思って調べたら、さつま町で同じような廃校をつかった施設の「きららの楽校」が出てきて。

何も決めずに、帰ってきた

次に働く会社は決まってた?

興味ある企業はあったんですけど、「応募しよう!」と問いあわせまでしたものの、間に合わなくて。。
とりあえず次のことは何も決めずに、会社を辞めてさつま町へ帰りました。
職場の人には「次が決まってないなら辞めない方がいいよ」って止められましたけど..親の農家を手伝うとか言い訳して。笑

笑笑
「私の採用、どうなってますか?」

そしたら、広島の時の同期がさつま町に遊びに来ることになったんです。
さつま町で泊まれるところを探してたら、姉が「こんなところあるよ」ってきららの楽校を教えてくれて。

きららの楽校って、さつま町の廃校活用で調べてたんじゃなかったですっけ!?

そうなんです。「調べてた場所だ!」ってなりました。
きららの楽校に広島時代の同期と遊びに行ったら、ちょうどイベントをしていて。
スタッフの方と喋ってたら「情報発信に興味あるなら入らないか」ってなって、その日に話が決まりました。

その日のうちに!?

なんか..泊まりに行ったその日に、そういう話になりましたね。
その後、連絡が途絶えたので「私の採用どうなってますか?」って問い合わせしたりして。笑

笑笑

そこはあいみちゃんと出会って、意外だなって感じたところかも。
まだ出会って少ししか経ってないけど、最初はほんわかしてるイメージだったのに、ちゃんと言わないといけないことは伝えてくれる。
コミュニケーターの仕事してると、なんでもOKって言えば良いわけじゃないから、圧をしっかりかけられる方が向いてると思ってて、頼もしいです。

そうですかね。笑
家族みたいで、よそ者。地域で働くということ

きららの楽校ではどんな仕事をしてましたか?

運営スタッフでしたけど、宿泊の掃除から準備、受付、SNSの発信まで、いろいろやってました。
私が入った時がオープンして半年ぐらいだったので、みんなで探りながら。SNSは頑張った気がします。


SNSは、最初から自由に投稿させてもらえてました?

そうですね。全部を任せてもらえていたわけではないですが、自分の投稿は自由にさせてもらえてましたね!

きららの楽校は、僕も大好きな場所のひとつなんです。
利用者と運営側の一体感があって、日日novaの目指す形のひとつだなと思い、よく話も伺わせてもらってて。
ただ、地域との距離が近いことは、良い面もある一方で難しさもありそうな気がするなぁと勝手に思っているんですけど、そのあたりはいかがでしたか?

うーん…良いところは、地域の方々が中心となって運営されている場所だったので、良い意味でゆるやかで家族のようなアットホームな雰囲気ですかね。

なるほど。

ただ、少し内輪の空気感が強くなってしまう部分もあり、仕事としてのメリハリがあると、もっと素敵な場所になっていくんじゃないかなって感じています。

答えにくい質問をすみません!ありがとうございます。
田舎特有の人間関係の近さみたいな部分は、中島さん自身は苦手ではない?僕は結構難しさを感じてまして。。苦笑

たしかに、ちょっと見られてる感じとか、そんな言わなくてもよくない? みたいなところはありましたけど。笑
ただ、一緒に過ごしているうちにだんだん「かわし方」も身についてきて。
「はいはい」みたいな感じで言えるようになって、おじいちゃんと孫みたいな、良い関係になれてたと思います。

かわし方。笑
めちゃくちゃ大事だよね!
すべてを受け止めてたら、疲れちゃうから。

きららの楽校は何年ぐらい働いてましたか?
きららで働いてた時期を振り返ってみて、自分自身がやりたいと思うようなことができたと思います?

5年間ぐらい働いてましたね。
やりたいことをさせてもらえました。
自分が好きだった絵を描いたり、好きなものが形になったり。

白くて地味だと思っていた和紙が、可愛かった

きららの楽校時代に「鶴田手漉和紙」と出会ったんですよね?

ですね。鶴田手漉和紙って、鹿児島の伝統的工芸品にも認定されているものなんです。
130年以上の歴史があって。

鶴田和紙があいみちゃんに刺さったポイントはどこなんですか?

きららの楽校で展示をする機会があり、子どもたちに実際触れてもらえるような体験ができたらいいなと思って、ワークショップを企画したんです。
それが鶴田和紙との出会いのきっかけで。

うんうん。

実は、小学6年生の時に卒業証書を和紙で漉いたことがあったんですよ。
展示のために昔の卒業証書を見つけて、懐かしくなって。

和紙とのつながりが小学校の卒業証書であったんですね!
素敵な原体験。

ほんとに。ありがたいです。
その時は「和紙=白くて地味なイメージ」でしたけど、そのワークショップでは染まった和紙とか色がついているものがいろいろあって、柔らかくて、可愛くて。
そこに惹かれましたね。


ワークショップの中身としては、どんなものを企画してました?

当時のさつま町地域おこし協力隊の女性と一緒にワークショップは始めたんですよ。
グラスに和紙を貼ってキャンドル風にしたり、アクリル素材と組み合わせたり。

鶴田和紙の特徴っていうとどんなところ?

原料から自家栽培してるんです。
のりが自然のものを使ってる関係で、冬場にしか制作できなくて。寒い時期にしかのりが効かないんですって。

のりも自然のものを!?すごい!

すごいですよね!
機械や道具も昔からの物を使っていたり、昔ながらの工程で作業していたり。
それもあって県の伝統的工芸品に認定されています。

へぇー!

昨日も手伝いに行ってきたんですよ。
動力発動機で原料をほぐす機械を動かすんですけど、ベルトが毎回外れるから、それを何回も直しながら。
そしたらベルトがちぎれたので、ベルトを打ち直すところからやってて、めっちゃ大変そうでした。笑


今風のワークショップに鶴田和紙を使うことに対して、職人さんから否定的な意見を言われたりしないものですか?
「そんなのダメだよ!」って言われちゃいそうだなって勝手なイメージがあって。

それは全くないですね。
今、3代目の息子さんが、4代目を継いで活動されていて。
どんな提案に対しても「いいよー、やってみなよー」って言ってくれる。

柔軟!すてき!

人柄もすごく良くて、私自身ものびのび関わらせてもらえてるのも、鶴田和紙に惹かれてる要因かもしれません。
「なんでもやってみな!」みたいな感じ。
まとめ-前編-
「あんまり断らないよね」と言われるタイプだと思います。
誰とでも仲良くなれて、地域の方とも「おじいちゃんと孫」みたいな関係になれて、言われたことは「はいはい」とかわしてしまう。
でも、1時間聴いていて何度も出てきたのは、まったく逆の姿でした。
親の反対を、説得もせずに「行く」の一言で押し切る。
次が決まっていないのに会社を辞める。
連絡が来なければ、自分から「私の採用どうなってますか?」と聞きにいく。
決めるのは、いつも自分。
その芯があるから、「なんでもやってみな」と任されたとき、迷わず力を出せるのだと思います。

後編では、独学で始めたカメラのこと、5年働いたきららの楽校を辞めた理由、そして「あんたは中途半端だ」という家族の言葉に、いま何を思っているのかを伺います。
実は、きららの楽校の辞め方も――広島を辞めた時とまったく同じでした。
HITTALKは(だいたい)月に1度、これからも続いていきます。 次回もどうぞお楽しみに!



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