【公務員の転職】奥さんも自分も子ども達も幸せで、これ以上の事はないと思った【森満誠也|転職編①|第3話】

転職

公務員を辞めて民間企業で働き始めた人。フリーランスになった人。

民間企業を辞めて、公務員になった人。

やりたいこと、夢をかなえるために、新たな道へ踏み出した『元』公務員や『現』公務員に密着します。

彼らが公務員として何を思い、今何を感じているのか。

今回は、2023年夏に鹿児島市役所から民間企業へ転職した、森満誠也さん【転職編①】です。

この記事は9分で読めます^^

第3話では、公務員時代の葛藤や変化について、お話を伺いました。

森満さんの姿をとおして、働き方で迷ってる人や悩んでる人のモヤモヤが、少しでも晴れてくれれば嬉しいです。

<聞き手,編集=上木寿人(KagoshimaBase)>

森満さんのプロフィール

鹿児島県鹿児島市出身。5児の父。

大学までを鹿児島市で過ごし、大学卒業後、建築技師として鹿児島市役所に入庁。

2023年に11年半過ごした公務員生活に区切りをつけ、LR株式会社へ転職。

日置市にある旧日吉小学校跡地活用施設「日日nova」で管理人として働き始め、35歳にして新たなステージへ進むことに。(記事リリース時は36歳)

やる気に満ち溢れていた新人時代

上木
上木

市役所に入庁した頃のことから振り返って聞きたいんだけど、最初はどんな感じだったの?

森満
森満

やる気に満ち溢れてました。
23歳で市役所に入れて「よっしゃ!」と思ってました。誇らしさでいっぱいだった。
新人挨拶もみんなの前で「一生懸命勉強して皆さんの力に少しでも早くなれるように頑張ります!」って言って。

心からそう思って言いましたもん。

上木
上木

そうだったんだね。
他の人たちと同じような感じだったんだ。

森満
森満

仕事終わった後も、ノート使って建築の勉強したりしてました。

上木
上木

それがどこで変わっていくの?

視野が広がって見えてきた違和感

森満
森満

3年目あたりですかね。
建物を設計したり工事監理する担当から、建物の保全計画を作る担当に係異動するんですよ。
そこで僕自身の見える景色が広がっていったように思います。
「建築」から「行政」っていう視点に。

上木
上木

保全計画書って、公共施設ごとに耐用年数までの修繕とか工事のタイミング書いてあるあれだよね!

森満
森満

ですです。
建物の保全計画を作る担当になったことで、鹿児島市が所有する市内各地のいろんな公共施設を見に行くようになるんです。
そこで「あれっ..」ってなって。
「めっちゃお金かけて施設整備してるけど、全然利用されてないぞ..?」って気づいて。

上木
上木

うんうん。

森満
森満

ちょうどその時に北九州市であったリノベーションスクールっていうイベントにも参加したんですよ。

それもすごく大きな転換点でしたね。

上木
上木

それは自分で見つけて行ったの?

森満
森満

はい。

当時、リノベーションスクールを主催してた九州工業大学の先生が、もともと鹿児島大学の建築の先生だったんですけど、その先生が鹿児島市役所で講演したんですよ。

その講演の中で「公共施設でもっと稼ぐべきだ」みたいな話をしてて。

それがピタッときて、気がついたら参加申込してましたね。

上木
上木

なるほど。

森満
森満

有休取って、新幹線で北九州までいって受講しました。

参加費も宿泊も新幹線も全部自腹で。

10万ぐらいかかった気がします。

今考えたらすごいパワーだなと思いますね。。苦笑

上木
上木

有休+自腹はすごいね。笑

リノベーションスクールって、どんなことをする場なの?

森満
森満

とにかく着火され続けるんですよ。

ほとんど寝ずに「公務員が変わらないといけない!」ってひたすら言われて。

そこで完全に自分の感じてた違和感が肯定された気がして、「やってやるぞ!」っていう戦闘モード(洗脳状態)に入りましたね。笑

ただ目の前の仕事をこなしてたところから全体を見るようになって、「市としてお金稼いでいかないと!」「使われてない公共施設でどんどん面白いことをやっていくぞ!」ってなったんです。

上木
上木

ビビっときて、気持ち的に大きな変化があったんだね。

リノベーションスクール参加時の高いテンション

なんかすごくつらくなって

森満
森満

リノベーションスクールから戻って、高齢化率高い地域の空き家をハーフDIYして移住したり、市役所前の名山町というエリアの長屋を仲間達と借りて、バカンスというコミュニティ施設を立ち上げたり。

公共施設でもいくつかやりましたね。

当時閑散とした展望所だった鹿児島県庁18階で、鹿児島ユナイテッドFCのパブリックビューイングを1年間させてもらったり、だだっ広いロビーだった鹿児島市役所西別館1階で空き家や移住、地域おこし協力隊のトークイベントを複数回開催したり。

上木
上木

がっつりやってる頃だね。

鹿児島県庁18階での鹿児島ユナイテッドFCパブリックビューイング
森満
森満

色々とやり始めるとマスコミから取材受けたりし始めてだんだん目立ってくるんですよ。

公務員でイベントやる人、当時は少なかったから。

市役所の中からは「余計なことするなよって」言われることが多かったんですけど、民間企業の人達からは少しずつ「面白そうなやつが鹿児島市役所にいるぞ」って評価され始めて。

上木
上木

なるほどなぁ。

森30満
森30満

20代後半から30歳過ぎまでは、フルスロットルで走り続けてましたね。
でも、ちょっとずつ疲弊し始めるんです。
やってもやっても承認欲求が満たされることはなくて、「俺の人生これであってるんだっけ..?」と思い始めて。

上木
上木

気づいちゃったんですね。。笑

森満
森満

まさに。

ある日、ふと気づいたら第一子が4歳になってたんです。
「自分、何も子育てしてないな..」って気づいて、仕事と家庭とプライベートが全部乖離していく感覚があって。
「どれが俺の軸なんだっけ..」ってなったんです。
ほんとは全部つながってるのに。

上木
上木

そんな感じになってたんだね。

森満
森満

なんかすごく辛くなっちゃって
今なら、家族と幸せになるために仕事を頑張ってるって、分かるんですけどね。
当時はプライベートの活動の方でもてはやされて、ちやほやされて。
直接言われたわけではないんですけど、「民間の人が動いているスピード感で市役所の中から変えていかないといけない、それが俺の役割だ!」って思っていて。

上木
上木

責任感だったんだね。

当時は、完全にそういう空気感だったもんね。

森満
森満

そうなんです。
勝手に「お前は市役所の中から変える役割だぞ!」って言われてるように感じてて。
でも、心の奥底では「もっと自分を必要としてくれる場所で働きたい。市役所辞めたいな。」って、その時から少しづつ思い始めてたんですけど。

上木
上木

その時には何となくあったんだね。

森満
森満

それこそバカンス初めた頃ぐらいに、思いもよらず活動がフィーバーしちゃって。
「あれ..市役所辞めて、気の合う周りの人たちと活動してた方が楽しいじゃん」って思って。

でも、それと同時に「やっぱり公務員がこういう活動やってるから取り上げられてるんだよな」っていう気持ちが大きくあるわけですよ。

仲良くしてる民間の人たちからも「まだ辞めるな、市役所の中でやれることがある!」って言われて。

上木
上木

うんうん。

森満
森満

使命感もあったから。

人間、求められると嬉しいじゃないですか。笑

上木
上木

間違いないね。

森満
森満

「自分自身、何者にもなれなかったから公務員になった」っていうコンプレックスもずっとあったんです。

そこまでの人生、結構挫折を繰り返してたので、周りから評価されて、求められ始めたことで「やっと俺の生きる場所ってここだ!」って思えたんですね。

そもそも26歳で結婚して、翌年に子どもも産まれてたんですけど、そっちにはいっさい目をくれずに。

上木
上木

その時はこれだって思ったんだもんね。

バカンス立ち上げ期の朝イベント

初めての育休

森満
森満

今振り返って見ると、その当時、リノベーションスクールに参加したり自宅のDIYリノベをしたりイベント立ち上げたりしてたわけですけど、子どもと正面から向き合った記憶がないんですよ。

上木
上木

一級建築士の勉強もしてたんでしょ?

森満
森満

そうです。
プライベートの時間はビッチビチに予定詰め込みながら、一級建築士の資格学校に通ってがっつり勉強もしてました。

上木
上木

それは時間ないよね?

自宅の塗装や床張りをイベントにして仲間達に手伝ってもらいながらリノベしました
森満
森満

ないですないです。笑
試験前なんて、建築士の勉強するから家族に妻の実家に帰省してもらったりしてて。

上木
上木

今の森満君だったら、あり得ないね。笑

森満
森満

あり得ないですよね。

「おまえがどっか行ってやれや」って話じゃないですか。

上木
上木

でも、そこに集中してたんだもんね。

森満
森満

今だから懺悔しますけど、2人目の子が産まれた時に1ヶ月の育休を取るんですよ。

それは…完全にパフォーマンスでした。
「市役所でほとんどだれも男性育休取ってないタイミングで育休取る俺、イケてるんじゃない?」って。

上木
上木

やばいやつだね。

森満
森満

今考えると、一番嫌いですもん、そんなやつ。

でも、取得のきっかけはパフォーマンスだったにせよ、そこで初めて子どもとちゃんと向き合ったんですよ。

育休取ったの1カ月間だけだったんですけど、結果的にかなり自分自身がズタボロにになって。笑

辛い時間以上に家族と一緒に過ごす時間に幸せを感じたりしてました
上木
上木

分かる!

僕も1年間育休とった時そうだったけど、最初の1ヶ月って結構辛い時間あるよね。

森満
森満

「たかだか1ヶ月でこんなキツいのに、これを3年間、奥さんに1人でさせてたのマジでやばかったな..」って思ったんです。

そこで気づきがあって、少しだけスイッチが入ったんですよ。

上木
上木

スイッチ?

森満
森満

「俺、今まで何してたんだろ?」って。

バカンスも立ち上げ期から継続期に移行し、少しずつ自分のモチベーションとしては下がってきてて。

運良く新しい人達が関わってくれるようになり、代表のポジションを継承したみたいな形に外向けには言ってますけど、本当は僕自身が続けられる状態じゃなくて。(関係者の皆様ごめんなさい)

https://sotokoto-online.jp/diversity/1032
【↑ソトコトさんに取材してもらって大きく取り上げてもらえたことは一生の宝物です。ありがとうございます。】

上木
上木

そうなんだね!?

すごく順風満帆にいってるように見えてたけど。

森満
森満

誰とも会いたくなかったですね。苦笑

ゴリゴリ活躍してる民間の人たちとずっと一緒にいると、彼らからの期待値が大きい分、出来てない自分にも悶々とするし。

組織の中では中で色々言われるし。

上木
上木

公務員の看板を背負って活動をしていたからバーッて目立ったけど、逆にそんな人が少ないからどちらからも期待や批判をされたわけだよね。

森満
森満

とにかく相談できる人が居ないのが辛かったですね。

職場にも民間にも、どっちにも何も言えなくて。
中の人には「お前が勝手にやってることじゃん」ってなるし、外の人には「弱音を見せたくないし」で、完全に病んでいきました。

変化

森満
森満

2人目の子が産まれた次の年に3人目の子が産まれて半年間の育休を取ったんですけど、精神的には完全に療休でしたね。

3月末に産まれる予定だったので4月から育休取得が決まってたんですけど、前年の10月ぐらいから仕事に行けなくなってしまって。

頑張って行く日もあるんですけど、朝目が覚めても起き上がれないんですよ。

妊婦の妻に「つらい..」って泣きついては慰めてもらう、みたいな日々でしたね。

上木
上木

つらいね。。

森満
森満

妻にはめちゃくちゃ迷惑かけましたし、救ってもらいました。

唯一、どんな時でも味方で居てくれる存在で。

妊婦だったので自分の身体で精一杯のはずなのに「パパの身体が一番大事なんだからね!」って受け止めてくれて。

上木
上木

奥さんすごい。

うちの妻、スーパーウーマンなんです。
森満
森満

だから、妻には一生頭上がらないんです。

一番辛かった時期に救ってもらったので。

育休前の最後の1ヶ月は年休がほとんどなくて、上司に呼ばれて「お前やばいよ」って言われて。

育休までの残り日数を心の中でずっとカウントダウンしながら、それを心の支えにする毎日でした。

上木
上木

そんな時期があったとは..全く想像できないなぁ。

森満
森満

結果的に使える休みは全部使い切って、なんとか育休に入れたんですよ。

育休は半年間取ったんですけど、僕の人生の大きなターニングポイントがこの半年間の育休ですね。

仕事はもちろん、今まで積み重ねてきたプライベートの活動もすべて整理して、家族と過ごす時間にフルコミットしようと決めたんです。

上木
上木

うんうん。

森満
森満

家族と24時間×半年間ずっと一緒に過ごしたことで、自分がずっと探し求めていた生きる意味とか軸ってこれじゃん!!」ってなりました。

子どもたちと話しながら幼稚園の送り迎えして、ご飯作って家族に美味しいって言ってもらって、一緒に風呂に入りながら水鉄砲で遊んで。

これ以上の幸せはないよなって、ようやく気づくわけですよ。

ミニショッピングカート作ったら喜んでくれて嬉しかったなぁ。(家の中汚い..)
上木
上木

ここで僕が知ってる森満くんが出来上がるんだね。笑

森満
森満

ですです。笑

半年間育休取った時に「家族を軸として生きていくんだったら、ここ(役所)に居続けるのは違うよな」って完全に分かったんです。

上木
上木

なるほど。

森満
森満

でも、当時既に30歳超えてたので転職市場からは遅れてるわけですよ。

転職活動で企業研究したんですけど当時はしっくりくる企業がなかったので、とりあえず自分の得意なことや求められてることってなんだろうって考えて、掛け算させた結果、このWEBメディア『カゴシマベース』を始めることにしたんです。

今まで自分がやってきたことと、どこでも働けるってことを掛け算したら、「WEBで人を応援することな気がするぞ!」って思って。

上木
上木

ちょうど半年育休を取って、軸が定まったタイミングだったんだね。

森満
森満

そうですね。

「鹿児島のために」、「組織での出世」、「たくさんの人からの承認」みたいなところの価値観が、「夫婦関係」、「家族」、「家事&育児」、「身近な人や自分自身の幸せ」とかに寄っていきましたね。

上木
上木

うんうん。

森満
森満

大切にしたい軸をそっち側に移してからは、ママさんたちの味方が増えた気がします。

これまでと付き合う人たちが変わったというか、いいねって言ってくれる人が変わってきて。
無敵だなって思ったんです。ママさんたちと同じ土俵で話出来て、いいねって言ってもらえたら。

上木
上木

完全に勝ちだね。

森満
森満

それ以上の正解はないじゃないですか。

奥さんも幸せで自分も幸せで子どもたちも幸せで、周りのママさん達からもいいねって言ってもらえて。

「みんな幸せじゃん」って思って。

まとめ

みんな幸せじゃん」って思って

周りの人を幸せにしたい、そして何より自分が幸せだと思える人生を過ごしたい。

誰もが願っていることですが、仕事や生活のなかで、なかなか実感できないまま時間が過ぎ、最後には考える(感じる)ことを諦めてしまう。

もがきながら、苦しみながら、それでも諦めず、幸せだと思える人生を歩むために前に進み続けてきた森満さん。

より良い人生を過ごしたいと思い続け、行動することの大切さを感じた第3話でした。

半年間の育休を取った第三子はもう5歳に。時の流れは早い。

次回は、夫婦関係のことや転職のことについて深掘って伺います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

また次回、お会いしましょう!

第1話 1年間の育休から復帰して感じる素直な思い【育休復帰編①】

第2話 男性育休は誰のために取る?【育休復帰編②】

第3話 5児の父、市役所から民間企業へ。転職の裏にあった葛藤や想いとは【転職編①】

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